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株式会社 標茶町観光開発公社の検証報告について

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株式会社 標茶町観光開発公社の検証報告について

町では、平成31年3月に経営破綻となった株式会社標茶町観光開発公社について、経営状況の検証(経営検証)と経営状況の要因の検証(政策検証)という2つの視点から検証報告書をまとめました。その概要版をお知らせします。
なお、報告書全文については本ページ下部、ダウンロード欄より確認することができます。

検証の目的

株式会社標茶町観光開発公社(以下「公社」と記す。)は、「町民の憩の場として、また広く公衆のレクリエーション、保養施設として更に雇用対策、地域経済刺激対策」を推進するため、標茶町長、標茶町農業協同組合長、標茶町商工会長、塘路観光協会長、標茶町議会議員会長、標茶町地区労議長、茅沼振興会長が設立発起人となり昭和53年に設立した第3セクターである。
様々な課題・問題を抱えながらも経営を続けてきたが、平成31年3月28日に破産手続の申し立てを行った。
町は、令和元年8月5日に開催された標茶町議会全員協議会で、公社が経営破綻に至った経過について、その原因と問題点を明らかにすることを求められた。令和元年6月定例会での一般質問での答弁で町長から、資金ショートとなった経緯等は答弁しているが、改めて公社が経営破綻となった原因及び問題点を明らかにするため、
・経営状況の分析による検証(経営検証)
・経営状況の要因の検証(政策検証)
の2つを主眼として検証するものである。公社の経営は、地方自治法や町条例の規定により、毎年議会に報告し、様々な議論がなされ、歴史を重ねてきたものである。したがって、今後の「憩の家」の運営にあたり同じ轍を踏むことの無いよう私たちの認識に刻み込む作業と位置付けている。それが運営会社が破綻してしまった施設所有者としての町の最大の責任であると考えている。

経営検証

各期別の決算書類を用いた分析結果について、まとめとして次の2点について列挙するものとする。

(1)第41期(平成31年3月28日)までの流れから
今回、過去からの状況を再確認すると、第2期(昭和54年10月から55年9月まで)ですでに短期借入金が計上されている。一旦は解消されているものの第14期(平成3年10月~4年9月)からは再度、また第15期(平成4年10月から5年9月まで)からは長期借入金も計上されており、慢性的に資金不足だったことが伺える。その負債解消のために建物等を町に売却することで補填する形をとり、借入金の返済に充てたことがわかる。そのため売却した資金が現金として資産計上していた期間は長くなく、第27期(平成16年4月から17年3月まで)においては長期・短期借入金も返済したが、現金も少額となっている。年度末残高の数値であるが、流動比率、当座比率からもわかるように、運転資金である現金残高が非常に落ち込んでおり、資金繰りに苦慮していたことが推測できる。議会議論でも触れられたことがあるが、資本を増やすことができれば、運転資金の確保にもつながり、持続的経営の一助となった可能性があったのではないかと考える。また、経営改善計画で示されているが、経費の削減は実施されていたが、それも限界があり、実際に第36期(平成25年4月から26年3月まで)の報告では、「経費の削減はすでに限界にきている」との報告がなされている。つまり経費はギリギリまで削減している中で、売り上げが増えること、利用者数が伸びなければ経営改善には至らなかったことが伺える。しかしながら、利用者数は第18期(平成7年4月から8年3月まで)をピークに概して増加に転じた期別もあるが、徐々に落ち込み続けた。公社はこの間、様々な努力を重ねてきたが、結果としてこの利用者減少に歯止めがかからなかったことが経営改善を阻んだ最大の要因と判断できる。

(2)憩の家かや沼経営改善計画以降の状況
平成29年12月策定の経営改善計画に基づき、町から3,000万円の長期借入が実現した第40期(平成29年4月から30年3月まで)以降の2期の実績を検証すると、第40期は、収益で対計画比5,671千円増、費用も同4,729千円増、当期純利益も同8,700千円増で終えたが、続く第41期(平成30年4月から31年3月まで)では収益が対計画比20,189千円減、費用も同1,708千円減、当期純利益は18,463千円減と急速に悪化した。
 第40期途中で調理スタッフを確保することができ、新たなメニューの訴求力と相まって計画を上回る売上げを計上したが、仕入額の上昇もあり、純利益は圧縮された。しかしながら、利用者増の兆しもあり、期待された第41期にあっては、胆振東部地震の風評とその後の経済対策としての復興割が結果として憩の家利用者層の高級施設への流出につながり、期待の伸びには至らず、加えて給与手当、賞与は3,883千円上昇し、租税公課3,333千円の増と合わせ、財務硬直化をもたらしたものと推察できる。

政策検証

ここでは、町の第3セクターである公社に対する憩の家かや沼の設置者として、憩の家かや沼に対する政策について検証する。しかしながら、町が行ってきた政策が経営にどのように影響したのかなど、数値をもって示すことは不可能である。全国で破綻となった第3セクターについて分析している文献などから指摘されている3項目について検証することとした。

(1)複数の政策目標と経営
憩の家かや沼は昭和47年度から昭和56年度までの10か年計画として策定された標茶町総合計画において「将来標茶町の産業として育てていく布石」として掲げられた政策であった。建設の目的は
1.勤労者いこいの村など公共的施設の呼び水とする。
2.景気の停滞を少しでも解決するために地域経済に刺激を与える。具体的には
・雇用の促進
・地場産業の育成、助長
3.過密状態の都市住民に豊かな自然環境の提供
を主標としたところである。
それまでの経過や当時の本町が抱えていた課題を解決することが目的とされ、その達成のための手段が憩の家かや沼の施設整備であり、持続的経営を行いながら人を呼び込むことが目標だったといえる。そして、その経営にあたるのが町民の出資をも得て設立された第3セクターの株式会社標茶町観光開発公社である。公社は第3セクターであったにもかかわらず独立採算を経営の基本とし、経営開始当初から長きにわたり委託料や指定管理料を受けずに経営努力を重ねてきた。それは建設時の合意形成から決められたことではあるが、公益的な目的をもつ施設であることからすると委託料や指定管理料の必要性を議論する必要はあったし、当初から高いハードルを設定した運営だったといえる。そして、町民の出資を無にすることはできないという至上命題を背負い、公社を存続させ憩の家を運営することが目的と化してしまったのではないか。

(2)市場動向と事業計画
憩の家かや沼は、その建設に多額の税金が投入されたものであり、当然のごとく町民の要望や役場内部並びに議会での議論など多様な合意形成のもと建設された。その多様な合意形成が経営にどのような影響を与えたかは計り知れないが、町の一大事業であり持続的経営が求められる中、長短期貸付金を活用しての資金繰りだったと思われる。また、公設の施設ゆえの民業を圧迫しないという配慮も働き、ぎりぎり持ちこたえる経営だったことも否めない。このような中では、市場動向などをもとにときに大胆な、ときにシビアな事業計画の策定と着実な進行管理は難しかったと思われる。また、平成11年から平成20年にかけて3度にわたり経営改善計画が策定されているが、平成29年に改めて長期計画が策定されるまでの間は、経営改善に向けたPDCAサイクルが十分に回っていなかったことは事実として反省すべき点である。

(3)リスク管理
これまで記述のとおり憩の家かや沼は、総合計画に位置づけされ、公社は、町のほか町内の主要な団体から発起人が名を連ね、文字どおり「町全体」で設立し「町全体」で利用し支えていく形の中でスタートを切った。ただ、議会議論の中には経営について懸念する声がなかった訳ではない。もし経営難になった場合の責任はという質疑もされたが、町全体で支える経営計画のもとではその議論も深まらなかったのである。過去を振り返るときはじめて言えることだが、その時あるいはその後でも、赤字あるいは経営難の際の決め事を作り上げておくことが必要だったのではないか。さらには、再三指摘されている企業ガバナンスの欠如が、破産という企業体にとって最悪の事態を招いた要因なのではないか。

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お問い合わせ先

標茶町役場 観光商工課商工労働係
〒088-2312 北海道川上郡標茶町川上4丁目2番地
TEL 015-485-2111 FAX 015-485-4111

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